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ネット上で記者会見

【共同通信から全国の加盟新聞社に配信】2008年04月23日
緊急識者評論「母子殺害死刑判決」(下)
大人の側の責任放棄  「術」を与えず、探さず 
フリージャーナリスト・綿井健陽 

 「何度も自殺したいと思った。死にきれなかったけど。僕がやったことは少年事件なのに、少年として扱われていない。また、大人なのかというと、大人としても扱われていない。僕は人間の道を外れたことをしでかしたから、人間として扱ってもらえないことも仕方ないけど」
 「光市母子殺害事件」で死刑判決を受けた「事件当時十八歳の元少年」は今年三月一日、拘置所での接見に訪れた弁護人に対してこう答えた。(本文冒頭より)

※判決直後に書いた原稿です。本文続きは新聞紙面上でご覧ください。24日(木)付以降の地方紙に掲載されています。どの新聞に掲載されているかは把握していません。またネット上では掲載されていませんのでご了承を。

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本当の記者会見を開いても誰も取材に来ないでしょう。それは虚しいので、このネット上でささやかに会見をやることにしました。

Q 「光市事件で死刑判決が出たら、ジャーナリスト活動から身を引く」とブログで書いていましたが、今後は何をされるのか教えてください。再就職先を教えてください。

「死刑判決が出たので辞めるのか?」と知り合いから電話やメールが来たり、ネット上では少し「炎上」しているようです。実は私が逆に驚いているのですが、そもそも「死刑判決が出たら辞める」とは書いておりません。

Q それとほぼ同じ趣旨のことが書いてあると読み取れますが?

僕ももう一度読んでみましたが、4月21日の時点で以下のように書いております。

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(明日の判決内容が)弁護側の主張が「荒唐無稽」であると裁判所が同じように認定した場合、なおかつ検察側の最終弁論で述べられている「当審における審理の結果によっても、被告人につき死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情は、これを一切見出すことができない」と裁判所が同じように判断した場合は、私はこれまでの取材などで書いたこと、発表してきたことなどの責任を取って、すべてのジャーナリスト活動から身を引くことにした。僕もそれぐらいのことを背負う覚悟はある。
 しかし、どんな判決が出されるかは本当にわからない。元少年へ4月16日に僕が送った手紙には、「正直、判決の予想はできない。けれど大丈夫。今まで僕はずっと『事実認定の部分がどう判断されるか、されないのかが重要』とほかの人たちに言ってきた。そこから考えれば大丈夫だ」と最後に書いた。

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それで、判決要旨を詳しく読んでみて、上記の私が掲げた「2つの辞める条件の両方」(「なおかつ」と書きましたので)と照らし合わせると、両方ともに該当するわけではないと思います。判決要旨→ http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/139679/

最初の「荒唐無稽」の部分は、「死亡した被害者女性に対する被告人の発想した姦淫行為」に対して裁判所が判断した際に使った言葉です。弁護側の弁論全体に対して「荒唐無稽」という言葉を使っているわけではない。判決文全体での表現で多いのは「不自然・不合理である」「供述は信用できない」という言い方です。http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/139701/

また、死刑を回避すべき事情に対しては、判決文の中では、「上告審判決のいう『死刑の選択を回避するに立ちる特に酌量すべき事情』は認められなかった」と書いてあります。この点は検察の主張に確かに近いといえます。

しかし、検察側の言う「一切見出すことはできない」とは書いていない。

裁判所は判決の中でも、「酌量すべき事情について」の部分で、
「生育環境には同情すべきものがある」「精神的成熟度は低い」と指摘して、「量刑上考慮すべき事情ではあるものの、それが特に酌量すべき事情であるとまではいえない」とありますので、「いくつか考慮すべき事情はあるが、それが特に死刑を回避する酌量すべき事情とまでは及ばなかった」ということです。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/139727/

また判決文はその前に「死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情を見出す術もなくなった」と書いてあります。「術」とは手段・方法ですので、「死刑を回避すべき事情に対して、見出す方法・手段が見つけられなかった」と私は受け取っております。したがって、これも「もしかすると事情はあったかもしれないのに、それを見出す手段がこの公判を通じて見つからなかった」と解釈しております。23日に共同通信から配信した原稿をご覧ください。

「そんな細かい部分はどうでもいい」「苦しい言い訳をするな」と思うかもしれませんが、以上が僕なりの弁明です。

さらに何よりも、私はこの判決内容を受け入れることができません。事実関係の認定で客観的に見ても明らかに誤りがあります。したがって、私は法律上ではないが、道義上のうえで世論に対して「上告」して、もう一度自分の取材活動を通じて、事実関係を「争う」ことにしました。私の引退を期待・待望された多くの方(?)には本当に申し訳ないが、今後も私は取材活動を続けます。

Q それで世論は納得すると思うか?

世論というと大げさだと思いますが、ネット上で書き込みなどをしてくれた人に対しては、こう説明するしかいまのところありません。

Q このような騒ぎを起こして、もっと早く説明するべきでは?

その点は申し訳ありません。先週から今日まで猛烈にあわただしくて対応できませんでした。
しかし、そもそも騒ぎになっているとは僕は知りませんでした。空気が読めません(KY)でした。ブログはたまにしか更新していないので、更新するとき以外は本人は見ておりませんのでご了承ください。

しかし、別にネット上だけでちょっと炎上しているぐらいですから、たいしたことはありません。もう少し週刊誌などから攻撃されると思って期待して「待っていた」のですが、いまのところないのは逆にさびしい思いです。誰も私など相手にされていないということがよくわかりました。

私は非常に臆病なのですが、実はかなりの「M体質」ですので、攻撃されればされるほど燃え上がります。したがって、「さっさとやめろ」と言われる方が多いので、逆に意地悪してやめません。これが逆に「やめないで」という声が多かったら、静かにやめようと思いましたが、これも少なかったので残念でした。私も世の中からだいぶ嫌われているということが今回の件でよくわかりましたので、それは感謝いたします。

Q 死刑判決が出るとは思っていなかったから書いたことなのか、そんなに自信があったのか?

ブログでも書きましたが、判決でどちらが出るかは、まったく予測がつきませんでした。ただ、無期懲役以下の判決が出てほしいと切に願っていましたし、何とかそうなるのではという期待も少しはありました。私にとっては元少年は何度も会っていて、僕の目の前にいる生身の人間です。彼が殺されることは絶対に避けたい。この死刑判決で死なせるわけにはいきません。

しかし、事実認定の部分に関しては、少なくとも「いくつか」は弁護側と被告人の主張は認められると思っていたので、それは完全に予想外でした。人生最大級のショックを受けたといっても過言ではありません。そういう意味ではいまの司法を甘く見ていた、司法の現実を見る目がなかったということです。

それから、こうした「辞める、辞めない」などを賭ける文面を書いたことは軽率でした。この点は反省しております。もうしません。

Q あなたはこの事件で弁護側や被告人の側に肩入れし過ぎではないか?

もちろん肩入れしています。どんな取材対象でもそうですが、肩ぐらいは入れないと、話も聞けませんし、取材もできません。しかし他のマスメディアはすべて被害者遺族の男性の方にずっと肩入れしているわけですから、報道全体のバランスとしては、ちょうどいいと思います。決して「し過ぎ」ではないでしょう。「肩入れするな」と言う方に対しては、申し訳ないですが対応できません。「するな」と言われると、余計にやりたくなります。今後も同じです。

Q なぜそんなに弁護側や被告人の側に肩入れするのか?

まず事実関係をもう一度見直したいからです。それはジャーナリズムがやるべきことです。そして弁護人の人たちと出会ってしまった。元少年に出会ってしまった。彼らの言い分に耳を傾ける必要があると思うから。被害者遺族の男性の声はこれまで大量にマスメディアを通じて報道され、多くの人が被害者遺族の男性の方にすでに耳を傾けています。

世の中の流れや見方が、マスメディアを通じてすべて一方向に流れるときは非常に危険です。それは確信できます。そういうときこそ、逆の側や異論を知らなければならないと思っています。そうしたときに「いままで見ていた世界が、違って見えてくる」という不思議な現象が目の前で起きるので、それが非常に興味深い。この驚きと再発見の感触が何ともいえません。しかし、またこの判決によって否定されたので、再度ゼロからなり直しです。また新たな驚きと再発見を目指します。国家や世論の声に添った取材など、驚きも何も発見がありませんからやりません。それはほかのマスメディアが毎日やってます。

Q ネットで書き込みをした人たちやメールを送ってくれた人に対して、何か言うべきことはないのか。

申し訳ありません。返信はしてませんが、だいたいは読んでおります。

ただいつもそうなのですが、できればブログやネットに僕が書いていることよりも、これまで新聞・雑誌・テレビ・本などに掲載している方を読んでもらって、よく考えてもらってから反応・感想を展開していただけると助かります。私のメインの仕事は自分のブログに何か書くことではなくて、ほかの媒体に書く方です。それを読んでいただくには確かにお金がかかりますが、申し訳ありません。「お前のそんなものに金と時間をかける必要はないんじゃボケ」という方は残念ですが、あきらめております。いわゆるネット上の「お手軽」批判・感想・反応などには返信・対応できません。最近はコメント欄を廃止したのですが、過去のコメント欄だけは残しております。というよりもこの欄の削除の仕方がよくわからないので置いているのですが、そちらをご利用ください。過去の掲載誌などの一覧は僕のHPの方を見てください。http://www1.odn.ne.jp/watai/ また、光市裁判に関する様々な原稿を探すには以下のHPが便利です。
http://www.jca.apc.org/hikarisijiken_houdou/

ちなみに、これまでの裁判の経緯や、弁護側の主張と検察側の主張を比較するには、弁護人の安田好弘弁護士が書いた以下の記事を読んでみてください。
http://www.jca.apc.org/hikarisijiken_houdou/hou%20to%20minsyusyugi200711.pdf

Q これから何をするのか?

これまで通りのことをやります。この事件の裁判に関しての自分の取材や報道をもう一度点検・検証して、新事実や新証言をもっと探したい。それを提示したいと思っています。

結局ジャーナリストを自分で名乗っても世の中が認めなければ、はいそれまでです。そもそも私のような立場は、批判・無視・誹謗・中傷など、何でも浴びなければ逆に存在意義がありません。批判・無視・誹謗・中傷などは、むしろ私にとっては最大級の「応援」と解釈しております。「死ね」「ボケ」「消えうせろ」などと言われると、最初は嫌な気落ちですが途中から快感になってきます。逆に「辞めないで」「応援してます」「がんばってください」などという声の方は気持ち的にはうれしいですが、私にとってはむしろ「敵」とみなしています。

Q 君は反省して謝罪しないのか? 事件の元少年と同じではないか? 「お前も刑を受け入れて死ね」という声があるが? あるいは、いったん罪を素直に認めて引退して、それからまた復帰するという考えはないのか?

今回の判決と同じで、本人が自分のしたことをちゃんと事実として認めた上でしか、謝罪・反省はできないと思います。したがって、「死刑判決がでたら辞める」とは言ってませんので事実誤認です。僕が掲げた「辞める理由」の2つの部分に関しては、判決文の該当箇所を照らし合わせてみてください。

ご心配をおかけした皆さんには申し訳ありません。心配の方ではなく、「さっさと消えろ」という方には、残念ながらご期待に添えられなくて申し訳ありません。「死んでくれ」と言われても、寿命に達するまでは残念ながら生きていると思います。そのあたりはご期待にこたえられなくて申し訳ございません。

元少年は私もこれまで何度か面会していますが、「2人の人を殺してしまったこと」は以前から認めて、反省・謝罪しています。そのこと自体は今回の公判法廷の中でも話しております。彼が否定しているのは「殺してしまったこと」ではなくて、あくまでも「殺意(殺そうと思った)」と「強姦の計画性(最初から強姦するつもりだった、その準備をしていた)」の方です。その点は誤解のないように。

彼は自分が実際に行った実行行為や本当の動機、いまの自分の姿や気持ちについては、世の中の人にどうしても知ってほしいと思っています。したがって、今回のように彼が話したことや事実関係がほとんど「信用できない」と認められなかったことの部分に対しては、法律上は最高裁で争うべきです。一方で、道義的な罪や遺族への謝罪や反省は、たとえどんな判決でも今後も獄中からずっと続けるべきことなので別問題です。それは被告人本人が誰よりも認識している。

Q これから君の言うことを信用する人はもういないのでは?

私自身もそれは非常に不安です。しかし敵が100人増えれば、味方も1人ぐらいは出てくるというのが、世の中の不思議なところです。その1人で僕は十分です。可能であればお付き合いいただければ光栄です。「こんな奴には付き合ってられん」という方には、またどこかでお会いできれば光栄ですとしか言えません。それで「さようなら」となるか、「こんにちは」となるかは皆さんの方のご判断にお任せします。

ではこの辺で。今後もたまにはブログを更新します。繰り返しますが、できればブログ以外の発表媒体の方を見てください。ブログの更新は何か告知があるときのついでぐらいですので、ご了承ください。

前回と同じく皆さんさようなら、もしくはまた会いましょう。

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綿井健陽 WATAI Takeharu
Homepage [綿井健陽 Web Journal]
http://www1.odn.ne.jp/watai

映画「Little Birds~イラク戦火の家族たち」
公式HP http://www.littlebirds.net/
DVD発売・各地で上映中
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2008-04-26 01:41 

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